長野県松本市出身。小学校教師を務めたのち、多文化共生センター東京の活動に参加。 2006年より7年間、「たぶんか(Tabunka)フリースクール」で日本語や教科を担当し、学齢超過の子どもたちと触れ合いながら、高校進学をサポートする。2013年より理事、事務局スタッフ。 2014年専務理事、代表代行。2015年4月より代表理事。外国にルーツをもつ子どもたちもふくめ、多様な個性をもつ子どもたちと出会い、学ぶことの多いたくさんの時間と元気をもらってきました。
東京都出身。都内で塾講師を務めていたとき、外国にルーツを持つ児童生徒と家族が学習の相談をしに教室へ来たことをきっかけに、外国語として捉えた日本語の教授法に興味を持ち、日本語教育の勉強を始めました。そして、日本語教師の養成講座を受講するなかで多文化共生センター東京を知り、2017年から荒川区「ハートフル日本語適応初期指導事業」の指導員を務め、区内の小・中学校に通う、来日して間もない児童生徒のサポートに携わりました。その経験を経て、より様々な面で子どもたちと多く関わりたいと思うに至り、事務局スタッフとして働き始めました。
山口育ち・大分出身。大学卒業後、青年海外協力隊としてフィリピンでの活動後、中学校の理科の先生をしたり、国際NGOのスタッフとして働いたりしていました。2012年より数学のアシスタントを経て講師になりました。フリースクールに通う子どもたちは、年齢も国籍も来日の理由もさまざまですが、ここで一緒に学んでいます。お互いを思いやる気持ちが生まれる様子、新しく知った言葉を使ううれしそうな表情、春からの進路が決まった時の幸せな気持ちなどなど、毎年おすそ分けしてもらってきました。 その場所により深く携わりたいと思いスタッフとして働くことになりました。 趣味は旅行と山歩き。夢は7つの大陸を制覇することです。最後の一つ、南極大陸を夢見て昨年スペイン語の勉強を始めました。
大学卒業後、地方銀行をはじめ民間企業で主に経理に従事してきました。経理・労務という裏方の業務であっても意義のある仕事をしたいと考えるようになり、国際NGO、外国政府事務所を経て、多文化共生センターで働き始めました。制度に当てはまらない学びたい子どもたちを応援できるよう、微力ながらお役に立ちたいと思っております。
出身は中国の福建省。当時中国の中学校を卒業してから来日したばかりの自分は日本の高校に進学したいと思い、色々な回り道をした後で、たぶんか(Tabunka)フリースクールに通い、やっと高校に入学しました。
現在は大学の2年生です。ここでインターンをして、同じように日本の高校へ進学したい、また日本での生活や言葉などに困っている後輩たちに自分の経験や知識を教えてあげたいと思います。